stumps

Gallery Stump Kamakura は、複数の美術家たちで運営しているアートスペースです。2006 年5 月に神奈川県鎌倉市にある一軒家を改築し、設立しました。スタート以来、展覧会活動などを通じて、世代や分野の垣根を超え、ものと人、人と人との交流の場として機能しています。2008年現在では運営するメンバーの数は10名に広がり、更に多様な方向を思索し邁進中です。

日曜日, 2月 11, 2007

言葉のつじつま合わせ



 今朝、久々に家のまわりを散歩してみた。
なんで散歩をしたかというと、昨晩寝る前に最近オレって散歩してないな〜〜なんでだろ?という疑問がわいてきたからだ。
 それはもしかして言葉のつじつま合わせをしてしまう癖がついてしまい、外の世界で起きていることを忘れていたからだ。なんてつまらない世界にオレはいるんだということに気づいて、先が読めないことをもっといっぱいしなきゃとおもい今朝散歩に出たのである。
 何のことかわからないと思うので簡単に説明すると、例えば、近所のまわりの風景をイメージして、その風景を歩いていくことで起きる出来事を先読みしてしまうと、散歩をしてもたいしたことが起きないような気がしてしまい、散歩をすることが時間のむだというか面倒くさく思えてきたりする。それは言葉のつじつま合わせをしていて、外の世界で起きていることを忘れているということだ。
 得てして面倒くさがりやの人は、これからする自分の行動を先読みしすぎてその行動の多さだったり、単純複雑さに嫌気がさして結局なにもしなかったりする。生活のためとか義務的なことにはしょうがなく体が動くけど、言葉のつじつま合わせをする癖がついていると頭のなかで答えを出してしまうから、あまり見返りを期待できないことには自己発生的に体を動かそうとしない。
 しかし、いっけん何も起きないであろう散歩に実際出てみると、外に生えている木々は日々成長しているし、体にあたる風の厚みみたいなものが日々違うことを敏感に感じとれたり、太陽の光の射し方が変われば見えている景色もガラっと変わって自分の体温も変化していることに気づかされたり、世界は日々変化しているのだ。〜のためにという義務的なものがなくても、世界の変化に身を投じれば、外の出来事が自分の言葉と呼応して勝手に前に前にと体を動かしてくれるのである。
 こういうふうに体を動かすと、言葉のつじつま合わせをすることが、どれだけ世界を縮めているかということがよくわかる。
 あまり機能的に動こうと思わなくていいのである。。見返りを期待しない無駄の動きをしていくことが、世界で起きているおもしろいことをいっぱい感じとるコツなのだ。

(イッセイ)