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Gallery Stump Kamakura は、複数の美術家たちで運営しているアートスペースです。2006 年5 月に神奈川県鎌倉市にある一軒家を改築し、設立しました。スタート以来、展覧会活動などを通じて、世代や分野の垣根を超え、ものと人、人と人との交流の場として機能しています。2008年現在では運営するメンバーの数は10名に広がり、更に多様な方向を思索し邁進中です。

木曜日, 5月 24, 2007

「友清ちさと 平行山脈パラレラマウンテンレンジ」


ずいぶんと旧聞となってしまったが、興味をもった展覧会の話しをひとつ。

 3月下旬に「友清ちさと 平行山脈パラレラマウンテンレンジ」を観に行く。会場場所は、JR橋本駅より徒歩約20分のところにある友清さんの自宅アパート。

会場に向かって歩いているあいだに、自宅アパートだからきっとお茶でも飲みながらゆったりとした環境で作品を眺めてお話しでもするのかな〜とよくあるパターンを想像しつつ会場に到着。
会場のアパートに着いたのはいいのだが、どの部屋で展覧会をしているのかわからずDMを見返してみる。
でもDMには部屋番号は書いていない。

しょうがないのでDMに書いてある携帯番号に電話してみると友清さんがでて、準備中だからもう少し待って下さい,準備が出来次第クリハラさんの携帯に電話をいれるので、そうしたら二階の○○○号室に入ってきて下さいとのこと。

ん〜これは何かあるな、なんか妙なことが起きそうな予感がしてきて10分くらい待っていると電話がかかってきたので、その指定された部屋のドアをノックすると、目を閉じている友清さんがあらわれ部屋にとおされた。

あたり前だが彼女はしっかりと目を閉じているので何も見えない。
だから手探りの状態で部屋の中を進んでいくしかない。

その彼女の後ろについていきながらキッチンから部屋に入ると、家財道具はいっさいなく、布を帯状に切ってつくられた長い紐が部屋の壁から壁に何本も横断し交差するよに張り巡らしてあった。

彼女はその紐を手探りでくぐり抜け部屋の畳の上に寝転がってしまった。

このアパートの一室のなかでは、畳の上に寝ている彼女とボクと二人しかいない。

なにか重たい空気が部屋の中に充満して空気の流れがピタッと止まっているような、いや反対に空虚感が立ちこめてる気がして、どうしようもなく手持ちぶたさで部屋のなかをグルグルと見渡すしかないのである。

部屋の中は紐が張り巡らしてあるだけではなく、壁にドローイングが貼られ、また壁にじかにドローイング的な線が描かれていたり、押し入れの襖が取り外され中に彼女の小作品(ドローイング、立体作品等)が設置されていて、それらを手持ちぶたさの状態で眺めながら、すぐそこで寝ている彼女をちらちら見つつ時間が刻々と流れていく。

これから何が起きるのか、いや何も起きないのかと思い巡らしていると、いきなり玄関のドアが開き、こんにちは〜ともう一人お客さんがやってきた。

でも彼女は寝たまま動こうとしない。

ボクの次に来たお客さんも寝ている彼女を見て戸惑っていた。
そして、ボクと同じように部屋の中をグルグルと見渡している。

ボクと彼女の二人きりの状態よりも、三人になった状態のほうが自分の身の置き場がわからなくなり、さっきよりも部屋の中の空気が薄くなっている気がして息苦しくなってきた。

そう思っていると急に彼女は起き上がり、目を閉じたまま手探り状態で布紐をくぐり抜けながら部屋の中を歩きはじめた。
そして、部屋のすみに置いてあるリュックに辿りつきその中からハサミを取り出し、部屋に張り巡らしている布紐をまた手探り状態でたどたどしく切っていくのである。

部屋の中は布紐の残骸が散らばり、彼女はそれを四つん這いなってかき集め、リュックの中に押し込み(ハサミも)、そして立ち上がりざまリュックを背負いベランダがある窓のほうに向かって歩き、そして窓を開けた。

窓が開けられて気づいたのだが、ベランダの柵には縄バシゴらしきものがかけられている。

彼女はベランダに出て、目を閉じたまま足下を確認しつつ縄バシゴを使って地上に降りようとしているのである。
あたり前だが目を閉じているのでフラフラと足下がおぼつかない。

本当に落ちてしまうんじゃないかとハラハラしてしまい、おもわず手を差しのべようとしたが思いとどまった。

彼女は命がけのパフォーマンスを今しているのだ。邪魔してはいけない。

そう思っている間に彼女はフラフラしながらもなんとか地上まで降りていった。
彼女は地上に降りたあといったい何処に行くのかとベランダから下をのぞいて確認したところ、何処かへ走っていってしまい、ボクの視界から消えてしまった。

彼女がいなくなった部屋の中でボクと後から来たお客さんは、言葉を交わすことなくボーっと立ち尽くしていた。

ただ窓が開け放されているところから心地よい風が入りこんできて、さっきまでの部屋の空気の薄さは無くなり、何か開放感みたいなものがそこにはあった。

そんな状況がどのくらいつづいたのかあまり覚えていないが、たぶん5、6分たったぐらいで彼女は玄関の扉を開けて白いすその長い白装束風の服にまとってあらわれ、部屋の中に入ってきた。

もちろんまだ目は閉じられた状態である。そしてリッュクの中から布紐も出し、さっき切ったはずの布紐を壁から壁へと交差するように張り始めたのである。

その布紐を張る行為が終わると彼女はベランダに向かい、またフラフラしながらもベランダの柵を越えて縄バシゴで地上に降りていってしまった。

彼女はたぶん再びこの部屋に戻ってくるに違いない。そう思いながらまた窓から入ってくる風にふかれていると、やはり彼女は再び玄関 の扉を開けて現れたのだ。(目はまだ閉じられている)

彼女は 部屋の中に入ってきてまた布紐を切り始め、そして布紐を切り終えると白装束風の服を脱ぎ(もともと着ていた服の上に白装束風の服を着ている)、ちらばった布紐、白装束風の服、ハサミをリュックに詰め込み、またリュックを背負ってベランダから縄バシゴをつたって地上に降りていったのである。

もしかしたらもう終わりかな〜と思っていると、彼女がまた玄関の扉を開けて部屋の中に入ってきて(ボクの記憶ではこの時点ではリュックはもう背負ってなかった)、畳の上に寝転がり動かなくなった。

それからどのくらいの時間が過ぎたのか、ずいぶんと長い時間彼女は動こうとしない。

もう一人のお客さんがしびれをきらしたのか、パフォーマンスは終わったと判断して玄関の扉を開けて帰ろうとした時、ありがとうございましたと彼女が起き上がってきたのである。そういうかたちで約一時間かけたパフォーマンスは終わったのだ。(たぶん実際に行われたパフォーマンスとボクの記憶とはかなり違いがあるような気がする)

 
 どうして友清さんのパフォーマンスの様子をここまで長く書く必要があるのか、自分自身も疑問を感じてきてしまったが、彼女のパフォーマンスに何故興味をひかれたのか確認するためにも、やはり必要だったのだ。

では、どういったところに興味をひかれたのかというと、それは「運動性から生まれる間(ま)」という一言につきる。

何を言ってるのかよくわからないと思うが、例えばあまり面白くないパフォーマンスというのは、自分の頭の中にあること(イメージ)をきっちり身体的に表そうするあまり(イメージに依存すること)、行為から行為へと移行するさいの意識の動きが固くなってなっていることが多い。

つまり、思考から次の思考に移る時に、そのあいだに間(ま)がなく、思考がつめつめになっているのである。

そうなると、パフォーマンスという行為が妙に説明的になってしまい、それは、ただ自分の頭の中でイメージを自慰的になぞっているにすぎない。
そういったパフォーマンスには、見る側にとってはなかなか入っていかれないものである。

しかし、友清さんのパフォーマンスはそうではなかった。

彼女は、パフォーマンスをおこなっているあいだ、約一時間最初から最後まで一貫して目を閉じ続けていた。(正確にいうとパフォーマンスの最後というのがよくわからない。何故なら帰り際に少しおしゃべりして、そしてボクが帰るのを見送ってくれた時も彼女はまだ目を閉じ続けていたからだ)

そうすることで、こういった体の動きをしようとか、こういったイメージで動こうと思っていた思考に揺らぎをもたせ、自分の思考の動きからどうしようもなく外れていき、もはや自分の意思で本当に動いているのかさえわからなくなるところまでいっている気がする。

目を閉じて寝転がっている時も、布紐をハサミで切っている時も、縄バシゴで地上に降りていく時も、地上から二階の自分の部屋にもどってくる時も、常に彼女は目を閉じ、そして自分の意思から外れていく自分を体現しているに違いない。

そこに「運動性から生まれる間(ま)」がつくられていくのだ。

彼女は目を閉じ続けることで、自分の思考の動きから外れていき、頭の中のイメージを自慰的なぞることをギリギリで回避させ、自然と(間)を生みだしているのである。

行為と行為、思考と思考のあいだがつめつめではなく、ゆったりとした間(ま)があれば、次の行為は前の行為より新鮮で違ったものになっているはずである。そこには開かれた広がりのある空間(世界)が生まれる。

誰も頭の中のイメージを自慰的なぞるような閉じられたものは見たいとは思わないだろう。

一応誤解されたくないので言っておくと、目を閉じれば間(ま)が生まれるというわけではない。友清さんだからできたのである。
彼女は常に現実の自分自身と向き合い、真剣に戦っているからこそ、彼女自身の間(ま)を生みだすことができ、また広がりのある世界を生み出すことができたのだ。

ちなみに、彼女はこのハードなパフォーマンスを八日間もおこなった。誰でもまねできるものではない。

自分なら目を閉じて動きまわるとしたら10分間ぐらいが限界かもしれない。
(イッセイ)