「THE ECHO」対談について。
21日の夜。
横浜のZAIMで開催中の「THE ECHO」という展覧会の対談を聞いてきました。
Stumpのメンバー、村山伸彦が対談に招待され、本人以外のメンバーもなんだか妙にどきどきしながら会場に集まりました。
ご存じの方も多いと思いますが、「THE ECHO」は鬼頭健吾さんを中心とした今活躍中の若手作家による展覧会です。
鬼頭さんが発案者となり、その一滴の水による波紋を受けた作家たちが全員で話し合いを重ね、キュレーションという関わり方なしに作家同士で作り上げた展覧会というのがこの展覧会の特徴です。
今回のテーマは「企画/場の可能性―現代に有効な企画や場とは?」というもので、対談に集められた方々も批評家やキュレーター、プロジェクトに関わっていたりという「展覧会」を作る人々でした。
そんなわけでGallery Stump Kamakuraにもお話がきたというわけです。
しかしそもそもStumpは、ギャラリストではなく作家の集団なので、この対談の参加者の中でも作家の目線で展覧会を作るということには共感できる立場だったようにもおもいます。
対談はやはり「展覧会としてのこのTHE ECHOという場」というところから始まりました。
展覧会を通じて言いたいこと、すぐそばで同時期に開催されている横浜トリエンナーレの存在について、外からの見え方、自由な場を得た作家の動き方・・・・
いろいろな議論が交わされていましたが、やはり個人的に共感できたのは今展覧会が作家の自発的な行動のひとつであり、また今展覧会のみで何かを大きく変えるということではなくその共鳴や波紋をさざ波のように増幅させて、発表の形態や場、作家の意識を揺らすきっかけのひとつにするということでした。
確かにこういった展覧会は、何かを与えられるために見ても弱いと感じてしまったりするかもしれないし、展覧会の「良かった・いまいち」というのは作品の良し悪しだけでは成り立たないものではあると思います。
いきなり同次元では言えないけれど自分の控えている卒業制作展も、まさに作家主体でキュレーターのいない展覧会で、グループショーというよりはショーケース的な展示になるだろうという予感はあるし、 (今展覧会がショーケース的という意味ではもちろんなく、)またなんとなく同世代の中で、誰かをトップにたててひとつの展覧会を作ろう、というよりはみんなで話し合うことでひとつの全体像を見つけていこうという気配があるようにも感じられます。
しかし今回、作品も一度はどこかで目にしたことのある作家たちばかりが集まって、しかもそれはキュレーターが何かひとつの発言のために集めたのではなく、作家たちが自主的に集まり展覧会を開催するというところは、今後も作品を作って発表していきたいと考えるさらに若い作家にも発表形態として何らかの余地みたいなものを与えられるヒントを提示されているように思いました。
またStumpでできることもまだまだあると改めて思いました。
自由な場があって作家が10人も集まって、なにもできないなんていっちゃえば惰性だろうと思います。
ということでさっそくTHE ECHOのECHOを受けた状態ですが、とにかく続けて見ていくこと、作っていくことの難しくも重要なことを考えさせられた夜になりました。
(すべて対談を聞いての個人的な解釈なのでそんなつもりで話してないみたいなことがあったらすみません。)
(むらおか)
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